「量子は語る:EBMの危うさ」(2022/12)
西洋の科学は分子に分け入り、その先に量子があった。量子とは物質の最小単位、粒子であり波動であると。それは現象であり、エネルギーである。2022年のノーベル物理学賞は「量子もつれ」の3研究者が受賞。他方、東洋哲学の根幹をなす易経に於いては物事の始めは太極にあり、そこに万物の根本、始まりがあるとする。
最近パーキンソン病(PD)の某患者氏とWeb対談をした。その席上「自分は、脳深部刺激(DBS)術を受けた。それでわかった事は、医者はDBSをゴールだと思っている。先のことについて問うと、何も答えてくれない。医者にはポストDBSがなかった。患者にとってはそこがスタートなのに。それで、西洋医学にはこれ以上期待するものはない」と、初端から手厳しい。
何故こうしたことになったのであろうか? 思い出すのは、本学会JSDNNMの先駆けとなった研究班々会議で、当時唱えられ始めたEBMについて論議した。私は、科学する専門家集団である班員にとってはEBMではいけない、ECM つまりEvidence Creative Medicineを目指すべきあると説いた。しかし、その後の世の様を見るにつけ、事はそうは動いてはいない。数値化が求められ、結果は統計的に処理される。カウント出来る事象を集めてそれを真理とする。診断と治療はフローチャートやマニュアルにまとめられ、日常臨床の個別の工夫が疎んじられ、背景にある心や魂、自然の織りなす摂理が見えなくなっている。
この広い宇宙に過去・現在・未来に亘って一人として同じ人間は存在しない。医療の立場をどこに置くべきかが問われる。一つの答はアートにある。アートとは個別性を引き出す作業。他を認め、対話する姿勢である。一つの対処、処置・治療の後には、変化を遂げた個性が広がる。一つの命が繋がる。変化の力を秘める器官の代表が脳髄である。かつて中田瑞穂(日本脳外科開祖)は、脳の最も大切な能力は可塑性であり、可塑性とは適応性であると喝破した。曰く、脳は一度経験すると元には戻れない。その高弟生田房弘(脳病理学者)は、脳の情報は瞬時に脳全体に広がる。この驚くべき仕組みに、シナップスで繋がる脳の姿を見た。
かのPD患者氏、実は量子物理に造詣が深く、かつ作曲もなさる。「量子は、語り合います」と続けた。地上の生物は勿論、鉱物も、宇宙も語り合う。人間のみが互いにいがみ合い、環境を破壊し、戦争をなす。この中にあって、幸い日本人は、わびとさびの中に、量子哲学と易経を識る。本学会々員の高き志に未来の医学を期待する。(本文1022文字)
湯浅龍彦 鎌ヶ谷総合病院千葉神経難病医療センター・センター長、JSDNNM名誉理事