「緩和治療」としての誤嚥防止術(2023/05)
パーキンソン病や多系統萎縮症などのパーキンソン症候群は、進行すると声帯運動障害などにより上気道狭窄を生じることがあり、従来は気管切開が第一選択でした。しかし、これらの患者さんの多くは重度の嚥下障害を合併しています。気管切開はさらに嚥下機能を低下させますので、気管切開後は誤嚥性肺炎の予防に頻回の吸引が必要となります。唾液誤嚥が増えることは「溺れかかって」いる様な状態であり、慢性的な炎症によって体力も大きく消耗されます。また吸引による刺激もまた大変な苦痛です。誤嚥性肺炎の予防のための頻回の吸引は、介護者にとっても夜間も熟睡できないなど、大きな負担を要します。そこで、私はこれらの患者さんには治療介入として気管切開と一期的に誤嚥防止術を行うという二つの選択肢を提示しています。誤嚥防止術を導入した当初、対象の多くは寝たきりの患者さんであったことから、同僚からは「ただの延命治療では?」という声がありました。一方で、この手術により、気道狭窄による呼吸苦や頻回の吸引から解放されるだけではなく、経口摂取が可能となる症例があることも複数経験しました。ある患者さんは筆談で「身体が地獄から天国にのぼるくらい楽になった」と教えてくれ、またある患者さんは文字盤で「術後は、夜寝るときに朝が来ることを確信できるようになった」と伝えてくれました。また、介護に当たられたご家族からは、誤嚥防止術により在宅で穏やかな最期を迎えることができたと教えられました。
緩和ケアとは、WHOにより「生命を脅かす病に関連する問題に直面している患者とその家族のQOLを、痛みやその他の身体的・心理社会的・スピリチュアルな問題を早期に見出し的確に評価を行い対応することで、苦痛を予防し和らげることを通して向上させるアプローチである」と定義されています。上気道狭窄は「呼吸ができない」という苦痛や恐怖、嚥下障害は「食べられない」「食べることが苦しい」といった肉体や精神の「痛み」を伴う病態です。誤嚥防止術には、音声を失うデメリットが強調されがちですが、患者さんの「呼吸ができない」「食べられない」「食べることが苦しい」といった苦痛に直面した患者さんへの緩和医療として大きな役割を果たすのではないでしょうか。患者さんやそのご家族にとって穏やかな終着点はどこか、共に模索し俯瞰的かつ広い選択肢を提供し続けることは、嚥下や気道を専門に扱う医師としての使命であると考えています。
東京都保健医療公社 荏原病院 耳鼻咽喉科
木村 百合香