食べることは生きること:食軸上に魂の核心をみる(2019/07)
最近、転倒して入院された80代後半の女性が、これといった合併症もないまま逝去された。原病は6年前に発症したレビー小体病で、約半年前から食べたいという気が全くなくなったというのである。この間に5kgほど体重が減った。とっさに頭をよぎったのが、以前経験した高齢男性の事例であり、体重が激減、手を尽くして調べたが癌は勿論これといった原因が判明せず、とうとう逝去された。剖検の結果は、視床下部に限局するシヌクライン沈着であった。
近年、わが国は超高齢社会を迎え、健康長寿が叫ばれる一方で、病老相携えて生きる人々も少なくない。これに合わせるようにフレイルという言葉が盛んに使われるようになった。フレイルとは、加齢性虚弱をいうのであり、その中核はサルコペニアとアパシーである。サルコペニアとは、筋の劣化、アパシーは、魂・精神力の衰退である。フレイルには原発性と二次性があって、前者は単純に加齢に伴う退行、後者は何らかの疾患の二次性の症候群である。
その中で、サルコペニアの診断に際しては、様々な定義がある中で、握力基準は、実際的で便利である。即ち、男性では握力が26kg以下、女性では18kg以下をもってサルコペニアとする。他方アパシーは、文字通り言えば、パッションの欠如、即ち情熱消滅であり、私は覇気減退と呼ぶ。要は、生きる気力、やる気(モチベーション)がうせた状況である。日常診療の場面では、Starkstein ら(1995年)のApathy scoreで点数化する。
アパシーの誘因として3つの側面に注目したい。第1は食べられるかどうか、第2は、精神的に活発かどうか、そして、第3は社会的な繋がりの良否である。症候的にはアパシーを知的側面、情緒、意欲の観点に分ける。より重要なことは、アパシーに至る機序であるが、大よそ3つの要因があると考える。1つは食細り、第2は脳のネットワーク(NTw)不調(Nexopathy)、そして、第3が社会的モチベーションの低下である。最後の機序は例えて謂えば定年になったかつての猛烈社員。そして、前2者に関しては食に関わる脳NTwで考えてみたい。
現代の脳NTw論の中で、魂に言及したものは殆どない。その中で魂を支えるシステムが何かとの問いに対しては、大別2つの経路が浮かび上がって来る。1つは味覚から始まる自我と歓びのNTwであり、第2は食欲と睡眠を管轄する視床下部から始まる経路である。そして、それらの交差点に魂の中核が見えて来る。
味覚は味蕾から始まる。その経路上には、延髄の孤束核、視床の後内側腹側核、そして前島回(AIC)が存在する。AICは味覚の一次感覚中枢であると同時に実は自我を統御する最重要センターでもある。魂は自我に固有のものであるからAICは魂の最重要な中継地点である。そしてAICから前頭葉眼窩面(OFC)に伝えられた味覚情報は、他の味覚関連の感覚である嗅覚、視覚、触覚、温覚などとブレンドされて、扁桃体や側坐核に伝えられ食の歓びをもたらす。こうした連合野を歓び中枢Hedonic centerという。
他方、視床下部に於いては、オレキシン(ORx)の消長が食欲と睡眠を調整する。即ち、胃が空になった時、胃壁から分泌されるグレリンが視床下部のORxを高め、食欲を増進する。他方、脂肪組織から分泌されるレプチンは逆にORxを抑制し睡眠へと誘う。こうしてORx増加は中脳にある腹側被蓋野(VTA)を活性化して、VTAから腹側線条体へ向かうドーパミン分泌を高め側坐核の働きを高揚する。
味蕾から発した味覚と視床下部から発した食欲刺激が、側坐核でクロスすることとなる。側坐核から発せられる食へのモチベーションと自我の中枢であるAICからの指令が背側前帯状回(dACC)を活性化することによって新たな食行動が惹起される。かくして我々は、味覚関連の諸核が構成するNTwと視床下部から腹側被蓋野そして側坐核への経路の重なりの中に魂を高揚するエンジンを認めるのである。つまり、食軸上に魂の核心をみるのであり、あらゆる情熱の根源も又ここにあると推測される。人が魂で生きる所以が見えて来た今、食べることは生きること也との自明の理が納得できるであろう。
心とは何かとの問いに中田瑞穂はその最後の著述で「脳即心」と語った。わが国脳外科の父とも目される先生の体験からは、形而上学的思弁でなく、目前に広がる具象的かつ生物学的な脳髄とその働きの中にこころの全てを認めた。その先生も魂に関しては霊魂という言葉で語られた外は、具体的なコメントはなさらなかった。つまり、魂とは何か、この命題は、正に今日皆様の手に残された大きな課題である。
(令和元年7月7日「口から食べる幸せを守る会第7回全国大会」を終えて、生田房弘先生の常々の激励に深謝し、故中田瑞穂先生のご霊前に献呈す)
鎌ヶ谷総合病院千葉神経難病医療センター・センター長
湯浅龍彦