避難所での食事と食べ方について思う(2) (2011/06-2)
大災害、大震災で意外と盲点になる事項に義歯の問題があります。
神戸淡路大震災後に兵庫県歯科医師会がまとめられた報告書では、震災が明け方に発生したため,義歯を外していた方が多く、大勢が義歯を紛失されたとされています.今回の東日本大震災は日中に発生していることで,義歯を失われた方は少なかったかもしれません.しかし、例え義歯を紛失しなくとも隠れた大きな問題ですので、以下に考察してみます。
義歯は歯槽堤(歯肉の土手)の上に乗って,義歯と歯槽粘膜の間に唾液が入り込むことで吸盤のように吸着し,さらに唾液の粘稠性によって維持されます.すなわち,義歯の維持には,①義歯粘膜面と義歯の間には気密に接触すること,②義歯粘膜面と歯槽粘膜の接触面積は広い方が良いということです.避難所では水も不足しがちと聞いております.義歯は外して水中保管しないと乾燥するため変形し,適合性は低下して粘着・吸着性は著しく悪くなり,咀嚼が困難になります.軟食から丸のみできる食事へと変化し,咀嚼筋群は廃用性に変化していきます.このような食事では栄養上の問題が生じます.歯槽堤の形態は栄養状態に応じて変化します.避難所ではたんぱく質の提供が少ないようですが,低たんぱく状態に偏ると歯槽粘膜は萎縮する結果,義歯粘膜面との適合性は低下します.さらに薄くなった粘膜は過敏になって義歯装着時に疼痛が生じ.義歯は外されます.
上下の総義歯(総入れ歯)を長期間外しておいた場合は,さらに深刻です.上下の総義歯を外すと,口腔容積は減少して,本来は前後上下左右に動かして咀嚼運動する舌の運動方向は前後方向に制限される結果,舌筋の廃用性変化が顕著になり,咀嚼運動障害は重症化します.
糖尿病が歯周病を悪化させますが,最近の研究で歯周病が糖尿病を増悪させることも明らかになりました.すなわち,避難所での炭水化物に偏った食物繊維の少ない食事内容の場合には,食物繊維による口腔の自浄作用が期待できない上に,粘着した炭水化物により歯垢の生成は著しく高くなることで歯周病の悪化が考えられ,そのことが提供されている食事内容と併せて糖尿病を重症化させることも考えられます.
援助物資には潤沢に「菓子類」があり,子供たちに配られているとのことです.若年者での歯周病は静かに急速に歯槽骨を破壊・吸収します.その結果,咀嚼機能は低下して,通常は体重程度の咬合力が発揮できる状態から,廃用性変化による悲惨な口腔機能障害に早晩陥ることが懸念されます.
兵庫県歯科医師会の報告書には,誤嚥性肺炎についてのデータはありませんでした.当時は「誤嚥性肺炎」の予防については判っておらず,歯科の関わりは義歯と歯周病に限定されていたようです.被災地の支援を歯科治療という観点だけで行うと,口腔が原因の全身の問題は解決できません.避難所での支援物資と口との関係,住環境のおよぼす口への影響,義歯や口腔衛生の問題の全てが,誤嚥性肺炎や窒息のリスクを高くすることに注意する必要があるでしょう.神戸淡路大震災は冬に発生したため,避難所で「風邪をこじらせて肺炎になった」という記事が散見されましたが,多くの方が上記の理由で誤嚥性肺炎になり,その後に死にいたる肺炎になられた方も多かったのではないでしょうか.
大阪大学大学院 歯学研究科
舘村 卓